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Author:HAKASE
北海道札幌市に生息中。「HAKASE」は子供の頃の愛称。何事にも超ドM的に取り組んでいます。技術士(農業部門)。フライフィッシング、B級グルメほか研究テーマ募集中!研究員も募集中です。

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HAKASEの研究室
超ドM的こだわりの世界へようこそ!
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岩見沢市その2・雷電食堂
岩見沢駅に向かう途中、Iさんがちょっとだけ覗いてみようということで寄ったのが「雷電食堂」(岩見沢市2条西2丁目)である。アーケード街の中にあるお店の入口からは煙がもうもうと出ている。勇気を出して店内へ。
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ここはホルモン焼きがおいしいらしい。価格も全体的に安めの設定。ラーメンやカレーなど飲んだ後の〆めにも良さそうだ。


まずは飲み物ということで、焼酎の梅割りを注文する。もっきりの焼酎に梅シロップを並々に注いでくれる。口当たりが良く、飲み過ぎそうなのでほどほどにする。
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ホルモンが焼けた。こりこりとした歯ごたえとあわせて噛むほどに味がある。もちろんタレにはニンニクをたっぷりと入れる。満腹なはずなのに結構食べられるものだ。
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カツカレーを大盛りで注文。ちょうど良い絶妙な辛さである。さすがに1人では食べきれないが、3人であっという間に完食。みんなよく食べるなあ。
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最後に塩ラーメンを注文する。あっさりしていて飲んだ後にちょうどよい。これでもう本当にギブアップである。
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1軒目とあわせて全身に色々な香りが染み付いている。周りにおいしそうな匂いを振りまきながら札幌へと向かうが、そんなことは全然気にならない。仕事の延長線にとっておいしいお酒と料理は重要なアイテムなのだと思う。岩見沢の皆さん、大変お世話になりました。これにて岩見沢シリーズ~完~
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岩見沢市その1・鳥勢
25日、岩見沢市に出張。仕事が終わって関係者と飲みに行くことになった。Iさんは私が若い頃に大変お世話になった方である。こうして一緒に飲むのは何年振りだろうか。

Iさんのおすすめは「鳥勢」(岩見沢市5条西4)という焼き鳥のお店である。ここは何を食べても美味しいということなので全メニューに挑戦することに。


はじめのお通しは漬物。大きな器に盛られてくる。おかわり自由というのがうれしい。
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ザンギはカリッとあがった鶏肉にタレを付けて食べる。もちろんそのまま食べてもおいしい。
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やきとりは正肉ともつをそれぞれ注文する。1人前は5本。串の先端に鶏皮が刺さっているのがここの特徴だとか。
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手羽先は思ったよりもあっさりしていておいしい。こしょうが効いているのもGOOD。
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からあげは素揚げのような感じ。外側がカリッとしていて中はジューシーというのがいい。
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塩ふり焼きは炭火で鶏肉のうまさを封じ込めた感じ。なかなかの絶品である。
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最後にかしわそばである。あっさりしたつゆがおいしい。冷めた焼き鳥を入れて食べるのが通なのだそうだ。
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まさに鶏のフルコースである。ここは他の焼き鳥専門店とは違って、から揚げなどのメニューがあるというのがいい。我々がお店を出た後にもすでに順番待ちの状態。5時をすぎるとあっという間に満席になるほどの人気店のようだ。

お腹もいっぱいになり、札幌へ帰ろうと岩見沢駅方面へと向かうが、もう1軒寄り道をすることに・・・(つづく)
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新橋「ポンヌフ」のハンバーグスパゲティ
7日から9日まで東京出張である。久し振りに新橋で昼食をとることにした。事前調査をして選んだのが「ポンヌフ」(港区新橋2-20-15新橋駅前ビル1号館1F)である。12時ちょうどに着いたが、すでに10人ほどの行列ができていた。


ここはスパゲッティがおいしいらしい。価格もかなりお手頃。ハンバーグスパゲティ(800円)を注文する。
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席について5分ほどで出てきた。柔らかめの太麺をギトギトのケチャップで炒めている。まさにナポリタンの王道であり、自分が求めているものだった。ハンバーグも玉ねぎの風味がとてもGOOD。このハンバーグだけでもじっくり味わう価値がある。見かけよりもボリュームがあり、結構お腹がいっぱいになった。
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食べ終わって店を出た時もまだ行列が続いていた。やはり人気のお店なのだろう。ほとんどの人がスパゲティを注文していた。
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このビルには安くておいしそうな店がたくさんあり、行列ができる店も多い。機会があったら是非行ってみたいと思う。
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O君ノート
卒業式にまつわる話がもう一つある。大学の頃、同じ学年にO君という人がいた。クラスが違うこともあり、直接会ったことも、話をしたこともなかったが、噂には聞いていた。

試験の直前になると友達同士でノートの貸し借りが盛んになる。日頃授業に出ていない人があせってノートを借りるということなのだろうが、そのノートのコピーやら、そのまたコピーなんかがあちこちで氾濫していた。私のところにもそういったコピーの類が回ってきた。それがかの有名な「O君ノート」だった。

自分はほとんど授業に出ていたので人のノートのことなど気にも留めていなかったが、回ってきたO君ノートを見て驚いた。先生の話をすべて網羅しているだけでなく、自らのイラストで図解にしたり、下手な参考書よりもずっとわかりやすいものだった。こんなノートを作るすごいヤツがいるんだとただ感心するばかりであった。

また、これも噂だったが、4年生になってO君は就職先がなかなか決まらなかったらしい。時はバブル全盛期であったが、1人で10社以上の内定をもらう人がいる一方で、全然決まらない人もいた。ただ、要領がいい人の方が早くに就職先も決まっているようだった。O君も自分と同じであまり要領が良くなかったのかもしれない。そのO君も卒業間際になってやっと就職先が決まったという話を聞いた。

卒業式の当日、卒業証書が総代に手渡される時がきた。総代には最も成績優秀な者が選ばれる。その総代がO君だった。学長から卒業証書がO君に手渡された瞬間、会場から大きな拍手が湧き起こった。誰もがO君ノートのお世話になっていたのだろう。しかし、そんなことはどうでもいい。O君に惜しみない拍手を送った。

仕事でも勉強でも要領の良さはもちろん大事であり、そのことを否定するつもりはない。しかし、遠回りだったり、無駄に思えることが功を奏することもある。要領の良さだけを追求するあまり大切なことを忘れていないだろうか。O君ノートはそのことを教えてくれたと思う。

山頂での卒業式
3月は卒業式のシーズンである。物事の節目において卒業式というのは特に感慨深いものがあるが、私にとっても忘れられない卒業式がある。昭和63年3月、大学の卒業式の翌日、私は札幌駅のホームに立っていた。そしてこの日朝一番の列車で登山仲間のI君とK君とともに東大雪山系にあるニセイカウシュッペ山へと向かった。

ちょうど1年前の3月にもI君とこの山に挑戦した。標高1883mと2千メートルには及ばないが、独立峰のため気象条件が厳しく、切り立った稜線や急斜面などの難所も多い。我々は最も困難と言われている南稜からの登頂を目指したが、予想以上に手強く、さらに悪天候が重なり雪洞に3日間閉じ込められて登頂は断念、下山した後も凍傷で10日間の入院を余儀なくされた。我々にとってニセイカウシュッペ山はまさに因縁の山であり、大学の体育館で卒業証書をもらうよりも、この山に登頂することこそ本当の卒業式だと考えていた。

昨年の失敗を教訓に綿密な計画を立てた。前年同様に南稜からのルートをとり、できるだけ装備の軽量化を図った。1日目に目標地点のパノラマ台まで到達し、2日目の昼には順調にベースキャンプを設営。天候も我々に味方してくれた。翌日、午前5時30分にベースキャンプを出発、小槍と大槍という難所も何とか乗り越え、午前9時30分にニセイカウシュッペ山の山頂に着いた。3人で登頂を喜び合って乾杯、I君はアパートの玄関に張ってあった紙の表札を頂上に埋めた。こうして僕らの卒業式は終わった。

卒業後、それぞれが違う道へと進んだ。I君は東北で就職し、その後も連絡を取り合っていたが、いつしか音信不通になった。K君は社会人山岳会に入ってメキメキと実力を付け、2000年の遠征隊メンバーの一員としてエベレストに登頂したと聞いた。今思えばあれがそれぞれの人生の分岐点だったのだと思う。私の方は色々あって登山に対する情熱がすっかり冷めてしまった。言うなれば登山に関しては卒業ではなく中退した形であるが、後悔はしていない。ただ、3月が来るたびに仲間達と山で過ごした決して戻ることのない日々を思い出すだけである。


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